蔦屋重三郎【偉人をカーシェアで巡る】聖地巡礼マップガイド
*この記事は、一部プロモーションが含まれています。
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聖地巡礼とは、宗教的な意味を持つ場所(聖地)に信者が赴くことを指します。これは、世界中の多くの宗教で行われている慣習です。
宗教的な聖地巡礼には、次のような目的があります。
近年では、宗教的な意味とは別に、映画 や アニメ 、 漫画 、 小説 などの作品に登場した場所を巡る「コンテンツツーリズム」としての聖地巡礼が人気を集めています。
コンテンツツーリズムとしての聖地巡礼は、単に場所を訪れるだけでなく、作品の中で描かれた風景や場面を実際に目にすることで、作品への理解を深めたり、感動を新たにし、より深くその作品を理解する事が出来ます。
通常聖地と呼ばれる場所は1か所ではなく点在していることが多い為、徒歩又は電車では巡礼しきれないので、機動力のあるカーシェアを使用することでより効率的に聖地巡礼を行うことが出来ます。
そこで今回は2025年大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」主人公蔦屋重三郎の聖地巡礼をカーシェアを利用した巡礼モデルをご紹介します。
この記事を読むことによって
- カーシェアを利用することで効率的に聖地巡礼を行うことが出来る
- PLUS CODEで迷わず目的地に行ける
- 次の場所への移動時間がわかる
本記事では住所ではなく、PLUS CODEで場所を示しています。何故ならPLUS CODEは住所の無い所でもピンポイントで場所を特定できる為、聖地巡礼で迷う事なく目的地に行けるからです。
三ノ輪駅
PLUS CODE:PQHR+HF 台東区、東京都
見返り柳
三ノ輪駅から徒歩12分
PLUS CODE:PQFW+QV 台東区、東京都
吉原大門跡
見返り柳から徒歩2分
PLUS CODE:PQFW+J9 台東区、東京都
吉原神社
吉原大門跡から徒歩約4分
PLUS CODE:PQFV+494 台東区、東京都
吉原遊郭
タイムズ千束第8
PLUS CODE:PQFW+MG 台東区、東京都
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場
タイムズ千束第8から車で14分
PLUS CODE:MQRJ+WP 中央区、東京都
耕書堂跡
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場から徒歩約3分
PLUS CODE:MQRJ+FC 中央区、東京都
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場
耕書堂跡から徒歩約3分
PLUS CODE:MQRJ+WP 中央区、東京都
タイムズ亀沢第6
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場から車で約6分
PLUS CODE:MQWX+C9 墨田区、東京都
すみだ北斎美術館
タイムズ亀沢第6から徒歩で約2分
PLUS CODE:MRW2+G5 墨田区、東京都
三ノ輪駅
ここから蔦屋重三郎の聖地巡礼の旅がスタートです。
PLUS CODE
PLUS CODE:PQHR+HF 台東区、東京都
見返り柳
PLUS CODE
PLUS CODE:PQFW+QV 台東区、東京都
三ノ輪駅から徒歩約12分
見返り柳(みかえりやなぎ)は、江戸時代から明治時代にかけて存在した遊郭「吉原」の入り口付近にあった柳の木です。遊客が名残惜しく振り返ったことからこう呼ばれました。
現在の見返り柳は、6代目にあたります。初代の見返り柳は、江戸時代初期に植えられたとされています。その後、何度か植え替えられ、現在の柳は1947年(昭和22年)に植えられたものです。
土手通りから五十間道への入り口の昭和シェルセルフ千束SSの価格表示モニター目の前に見返り柳が現存しています。
吉原大門跡
PLUS CODE
PLUS CODE:PQFW+J9 台東区、東京都
見返り柳から徒歩約2分
吉原大門はよしわらだいもんではなくよしわらおおもんと言います。
蔦屋重三郎は、1750年(寛延3年)に吉原遊郭内で生まれました。幼少期から青年期にかけて吉原遊郭で過ごしました。
吉原大門跡は、かつて吉原遊郭の入り口として機能していた場所です。江戸時代初期から明治時代中期まで、遊郭に入るための唯一の門として重要な役割を果たしていました。
蔦屋重三郎は、吉原遊郭の案内書である「吉原細見」の出版に大きく貢献しました。「吉原細見」は、遊郭内の遊女や茶屋の情報が掲載されたもので、江戸時代の人々にとって非常に人気のある書籍でした。蔦屋重三郎は、吉原大門跡付近で「蔦屋」を経営しており、「吉原細見」をはじめとする遊郭関係の書籍を多く販売していました。
蔦屋の場所は見返り柳から五十間道を通り吉原大門の近くのどこかにあったとされています。
吉原神社
PLUS CODE
PLUS CODE:PQFV+494 台東区、東京都
吉原大門跡から徒歩4分
吉原神社は、遊郭の守護神として信仰されてきただけでなく、縁結びや商売繁盛のご利益があるとされています。
- 本殿: 江戸時代中期に建てられた本殿は、東京都指定の文化財に指定されています。
- 稲荷社: 遊郭の守護神として信仰されてきた稲荷社は、現在も多くの参拝客が訪れています。
- お歯黒稲荷: 遊女たちが願掛けをしたとされるお歯黒稲荷は、珍しい神社として知られています。
- 吉原弁財天: 遊郭の近くに祀られていた吉原弁財天は、現在も吉原神社の境内に移されています。
吉原遊郭で生まれ育った蔦屋重三郎も当然この吉原神社に何度も訪れているはずです。
吉原遊郭
今では信じられないかもしれませんが、吉原遊郭の周りは田んぼが広がる陸の孤島でした。
入り口は吉原大門しかなく周りは塀で囲まれその外にはお歯黒どぶと呼ばれる幅約3メートル、深さ約1メートルの溝がありました。
これにより幅が広く深いため、遊女が容易に外へ逃げ出すことを防ぐ効果や外の世界を分ける境界線として機能していました。
殿方にとっては楽園だったのかもしれませんが、遊女達にとっては監獄そのものだったのではないでしょうか。
江戸時代の公認遊郭
吉原遊郭は、江戸時代初期から明治時代中期まで存在した、江戸幕府公認の遊郭です。現在の東京都台東区浅草二丁目から三丁目あたりにあった場所で、約260年間の歴史を誇ります。
遊郭の起源
江戸時代初期、江戸市中各地に散在していた遊女屋を風紀上の問題から一ヶ所に集めるため、1617年(元和3年)に日本橋人形町付近に「葺屋町」と呼ばれる遊郭が設けられました。これが吉原遊郭の起源となります。
新吉原への移転
1657年(明暦3年)、明暦の大火で葺屋町が焼失したことをきっかけに、吉原遊郭は現在の場所に移転しました。新天地となった場所は、浅草寺の裏手に位置する日本堤(現在の台東区千束)で、以降「新吉原」と呼ばれるようになりました。
遊郭の繁栄
新吉原は、江戸幕府の庇護のもとで急速に発展しました。遊郭内には、華やかな衣装を身にまとった遊女たちが集まる見世(遊女屋)や、遊客をもてなす茶屋などが立ち並び、江戸時代の享楽文化の中心地として栄えました。
遊郭の構造
吉原遊郭は、大きく分けて三つの区域から構成されていました。
- 岡場所: 格の高い遊女たちが集まるエリア。高額な揚げ代(遊女と遊興するときの値段)が設定されていた。
- 仲之町: 岡場所よりも安価な遊女たちが集まるエリア。比較的若い遊女が多かった。
- 新町: 最も安価な遊女たちが集まるエリア。駆け出しの遊女や見習い遊女が多かった。
遊郭の文化
吉原遊郭は、単なる遊興の場にとどまらず、江戸時代の文化や芸術の発展にも大きな影響を与えました。多くの浮世絵や文学作品に吉原遊郭が題材として描かれ、江戸時代の風俗や人情を今に伝える貴重な資料となっています。
遊郭の終焉
明治維新後の1872年(明治5年)、明治政府は娼妓解放令を発布し、遊郭制度を廃止しました。吉原遊郭も公認遊郭としての役割を終え、その後は私娼窟として営業を続けていました。しかし、1956年(昭和31年)に売春防止法が施行されたことを機に、吉原遊郭は完全に姿を消しました。
現代における吉原
吉原遊郭は消滅しましたが、その跡地には現在も多くの歴史的な建造物や史跡が残されています。また、近年では吉原遊郭の歴史や文化を伝える博物館や観光施設も整備されており、多くの観光客が訪れています。
聖地巡礼に誘われたけど作品を知らなかった場合
友達に聖地巡礼に誘われたけど、その作品を知らないという場合どうすればいいのでしょうか?
コンサートやライブでもそうですが、そもそもそのアーティストの歌を知らなければノルことも出来ませんし、楽しむことも出来ません。
楽しむためには事前に情報をチェックすることが大事なのは言うまでもありません。
蔦屋重三郎の世界をチェックし、聖地巡礼を大いに楽しみましょう。
タイムズ千束第8
PLUS CODE
PLUS CODE:PQFW+MG 台東区、東京都
ここから小伝馬町や両国方面に向かいますので大門近くのタイムズでカーシェアします。
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場
PLUS CODE
PLUS CODE:MQRJ+WP 中央区、東京都
耕書堂跡には駐車場が有りませんので近くの時間貸し駐車場に停め徒歩で向かいます。
耕書堂跡
PLUS CODE
PLUS CODE:MQRJ+FC 中央区、東京都
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場から徒歩約3分
メディカルプライム日本橋小伝馬町の目の前に看板があります
耕書堂は、蔦屋重三郎が1783年(天明3年)に開店した書店です。当初は「蔦屋重三郎店」と呼ばれていましたが、1785年(天明5年)に「耕書堂」に改名されました。耕書堂は、単なる書店ではなく、文人や芸術家が集うサロンとしても機能しました。また、蔦屋重三郎は貸本屋の先駆けとしても知られており、耕書堂では多くの書籍を貸し出していました。
耕書堂は、1872年(明治5年)の明治維新後に閉店しました。その後、跡地は様々な用途に利用されてきましたが、1985年(昭和60年)に東京都の史跡に指定されました。現在は、説明板のみが設置されています。
タイムズ亀沢第6
PLUS CODE
PLUS CODE:MQWX+C9 墨田区、東京都
三井のリパーク 日本橋馬喰町1丁目第2駐車場から車で約6分
すみだ北斎美術館には駐車場が有りませんので最寄りの時間貸し駐車場がタイムズ亀沢第6です。
すみだ北斎美術館
PLUS CODE
PLUS CODE:MRW2+G5 墨田区、東京都
タイムズ亀沢第6から徒歩約2分
蔦屋重三郎と葛飾北斎は、江戸時代後期に活躍した版元と絵師という関係であり、互いに大きな影響を与え合いました。
浮世絵と言えば真っ先に思い浮かべる富嶽三十六景に代表される葛飾北斎以外にも喜多川歌麿や写楽などもプロデュースしています。
すみだ北斎美術館は、北斎の作品だけでなく、江戸時代の出版文化全体を紹介する展示も行っています。蔦屋重三郎は、江戸時代の出版文化を代表する人物であり、その功績はすみだ北斎美術館の展示でも紹介されています。
蔦屋重三郎とは
蔦屋重三郎は、江戸時代中期から後期にかけて活躍した版元で、歌麿、写楽、北斎などの浮世絵師と組んで多くの作品を出版するなど江戸時代の浮世絵黄金期を築いた人物として知られています。
又、単なる版元にとどまらず、常に新しいことに挑戦する革新家でもありました。貸本屋の先駆けとして知られる「蔦屋文庫」を開設したり、歌舞伎役者の人形を販売する「人形屋」を経営したりするなど、幅広い事業を展開し現代でいうマルチクリエイターと言える存在でした。
蔦屋重三郎[偉人]聖地巡礼マップガイドまとめ
いかがでしたでしょうか?
2025年(令和7年)放送予定のNHK大河ドラマ、江戸時代中期に活躍した版元・蔦屋重三郎(つたやじゅうざぶろう)の生涯を描いた「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」(つたのじゅうえいがのゆめばなし)が放映されます。
主人公の蔦屋重三郎役を、俳優の横浜流星さん、妻役を女優の橋本愛さん渡辺謙さん染谷将太さんなど豪華キャストが今から話題になっています。
NHKの連続テレビ小説の前後には聖地巡礼熱が高まることから、今のうちに蔦屋重三郎ゆかりの地である吉原を訪れてみてはいかがでしょうか。
それぞれの聖地までの移動時間がわかるようになっていますので、後はその聖地でどのくらい滞在するかで1日で巡礼できるのか2日になるのか変わってきます。
今回の蔦屋重三郎[偉人]聖地巡礼マップでは1日で巡礼出来るコースとなっています。
郊外から訪れた方は近くに宿泊するのもいいかもしれません。