石原裕次郎の軌跡展巡回展情報と気になる石原軍団の現在
石原裕次郎という昭和を代表するスターがいたことを今の若い人は知っているでしょうか?
昭和の大スターで、数多くの映画やドラマに出演され、俳優業だけでなく歌手としてや映画プロデューサーとしても活躍した方です。
50代の私が印象に残っているのは「太陽にほえろ!」でのボス役ですね。
足が長くてスーツが似合っているちょっと恰幅の良いおじさんという印象でした。
私の世代より、私の親世代の方が絶頂期であり、私の母親も裕ちゃんのレコードを持っていたと言っていました。
その石原裕次郎さんの軌跡を展示した「石原裕次郎の軌跡」展が、全国巡回で開催されます。
石原裕次郎さんのファンの人は元より、知らないという人も一度、昭和の大スターと言われた裕次郎さんの軌跡を見に行ってみませんか?
そこで「石原裕次郎の軌跡」展について詳しくご紹介すると共に、
どうして小樽の裕次郎記念館を閉館したのか
全国巡回展を行う事になったか
現在の石原軍団のメンバー
過去在籍していた石原軍団員の今
などもご紹介します。
開催概要
開催期間
2018年8月22日(水)~9月3日(月)まで
会場
松屋銀座イベントスクエア(松屋銀座8階フロア)
アクセス
東京メトロ銀座線、丸ノ内線、日比谷線「銀座駅」A12番出口直結
東京メトロ有楽町線「銀座一丁目駅」9番出口より徒歩3分
都営地下鉄浅草線「東銀座駅」A8番出口より徒歩3分
JR「有楽町駅」より徒歩8分
チケット
8月21日まで前売りチケットが販売されています。
一般前売り券 700円(1000円/当日券)
高校生前売り券 500円(700円/当日券)
中学生前売り券 400円(500円/当日券)
小学生前売り券 300円(300円/当日券)
開場時間:10:00~20:00
8月26日(日)10:00~19:30
9月3日(月)10:00~17:00 (入場は閉場の30分前まで)
「石原裕次郎の軌跡」展は、2年間で8か所回る予定だそうです。
その後、要望があれば3年間に延長することも考えているそうなので小樽の記念館に行きたくても行けなかった方には朗報ですね。
目玉としては当時日本では石原裕次郎さんと力道山しか所有していなかったメルセデスベンツ300SLガルウィングを目にする事が出来る事です。
私としてはベンツよりも当時西部警察ロケで使用されていたスカイラインやフェアレディ―Zやガゼール、レパードなどが見たかったですね。
当時の日産車はカッコ良かったですよね。
次は名古屋の予定です。
日程は2018年12月26日(水)から2019年1月21日(月)までで、会場は今のところ発表されていません。
その次は大阪の予定なのですが、まだ詳細はわかりません。
わかり次第情報をアップします。
日程などは石原プロのホームページをチェックしましょう。
どうして巡回展をやる事になった?
ところで石原裕次郎と言えば小樽に記念館があったはずなのでなぜ記念館を閉館して今更巡回展をすることになったのでしょうか?
それには時代の流れが影響している事があげられます。
裕次郎世代の高齢化
今の20代からすると石原と聞けば「石原さとみ」か「石原良純」又は「石原慎太郎」しか思い浮かばないのではないでしょうか。
石原裕次郎さんが亡くなったのは1987年で、小樽の裕次郎記念館が出来たのが1991年ですので27年もの月日が過ぎているのです。
つまり30歳以下の人は石原裕次郎さんを知らないのが当然であり、知っててお笑いタレントの「ゆうたろう」さん位なのです。
— ゆうたろう (@BOSS_YUTAROU) 2018年2月21日
裕次郎世代は現在70代から以上の方々なのでファン層の高齢化から小樽の裕次郎記念館の来園者数は減り続けている事が大きいようです。
施設の老朽化
北海道の小樽にあった「石原裕次郎記念館」は1991年から2017年8月31日まで営業されていたのですが、建物の老朽化が深刻でした。
天井の水漏れ跡や海近くの建物の宿命である海風による壁の傷みなどが激しかったようです。
26年間に記念館を訪れた人はのべ2000万人!
閉館を惜しむ声が多く寄せられたことと、小樽は遠くて見に行くことができないという話を聞いて、まき子夫人が全国巡回展を開催して多くの方に見に来て欲しいということで、今回の巡回展が実現しました。
舘ひろしと神田正輝どちらが次期社長?
元々石原プロとは、石原裕次郎が設立した芸能プロダクションです。
もちろん初代社長は石原裕次郎さんです。
石原裕次郎さん亡き後は、渡哲也さんが2代目社長でした。
現在では、石原裕次郎夫人の石原まき子さんが代表取締役会長、渡哲也さんが相談取締役となっています。総括取締役が浅野謙治郎氏ということで社長のポストは空席のようです。
舘ひろしさんと神田正輝さんは石原プロを代表する俳優さんですし、かつては二人とも取締役だったこともあります。
しかし渡哲也さん舘ひろしさん神田正輝さんが取締役を退任したのは石原プロ経営改善のためのプロセスだったようです。
かつては渡哲也の跡目争いは舘か神田か?とされてきましたが、現在の石原プロモーションの状況を考えると進んでなりたいとは思っていないのかもしれません。
まあご本人にしか本心はわからないですが・・・。
しかし現会長である石原まき子さんがこの後どちらを指名するのか、しないのか、外部の人間を指名するのかはわかりませんね。
石原プロモーションは金使いの派手さが有名で新年会の取材で訪れたメディア関係者に1万円のお年玉を配るのが恒例行事でしたがそれも無くなりメディアからは「石原プロモーション」危機説が流れていました。
何しろテレビドラマは視聴率が取れませんし、石原プロモーションの若手も伸び悩んでいることから石原プロモーションではスタッフも1/3に減らすなど対応しているがそれでも石原プロモーション維持は厳しいのでは?との声が聞こえているのです。
縁起の悪い話だけど、まき子夫人と渡哲也氏が亡くなったら石原プロは無くなってしまうかも?
それだけ石原裕次郎さんのカリスマ性が遠い昔話になってしまい、若い俳優さんは「石原プロ」の意味さえよくわからなくなっちゃうかもね。
現在の石原軍団メンバー
ところで石原プロに所属している俳優さんを、テレビドラマ「西部警察」の時の「大門軍団」にちなんで「石原軍団」という愛称で呼ばれています。
現在の石原軍団は、渡哲也さん、神田正輝さん、舘ひろしさんは思い出す事ができますが、他の若手はご存知ですか?
徳重聡
2000年新人発掘オーディションで5万人の中からグランプリを獲得し、「第二の石原裕次郎」と期待されたのですが、正直伸び悩み感が強いですね。
池田努
徳重聡さんと同じ2000年のオーディションに応募し最終選考の10名に残るも落選。しかし石原プロモーションにスカウトされデビュー。
2003年には西部警察2003のロケ撮影中に車で発進する際ハンドル操作を誤りロケ見物人の列に突っ込み重軽傷を負わせる事故がありこれにより西部警察2003はお蔵入りに。
石原プロモーション衰退期の象徴とも言える事故でした。
宮下裕治
徳重聡さん、池田努さんと同じく2000年のオーディションにて「石原まき子賞」受賞で石原プロモーション入り。
神田穣
岩永ジョーイ
増本尚
金児憲史
舘さんと神田さんはわかるとしても、他の若手俳優は残念ながら災害被災地での炊き出しで目にするくらいで、よくわかりません。
かつては鉄の軍団といわれた石原軍団も事務所独立問題で大揺れした「たけし軍団」同様バラバラになってしまいそうな感じがするのが残念です。
そもそも「たけし軍団」という名前自体も「石原軍団」のパロディーからきており当時周りへの影響力は半端なかったのがお分かりになるかと思います。
現在はデジタルコンテンツ時代ですので民放のテレビ局はドラマで視聴率が取れない時代となっています。
俳優業は以前にも増して厳しい状況へと追い込まれていますので演技でよほどの存在感を示さないと、若手俳優が存続できるかは難しいようです。
過去石原軍団の人達は今何している
俳優界の名門と呼ばれた石原軍団には数多くの名優たちが所属していました。
しかしそれぞれ大人の事情から石原プロモーションを離れたようです。
又、石原プロモーションと言えば男臭いイメージがありますが、過去には浅丘ルリ子さん、黛ジュンさんなどの女優も所属していた時期があったようです。
それでは当時石原プロに所属しながら現在は独立した元石原軍団員をあげてみました。
石原良純
石原良純さんは元都知事の石原慎太郎さんの次男で裕次郎さんの甥っ子というサラブレッド。
太陽にほえろでは水木悠役であだ名は「マイコン」・・・
マイコンは「マイクロコンピューター」のことで現在の「パソコン」の事ですが、時代を感じますね。
しかし刑事なのにあだ名が「マイコン」って・・・どうなの?このセンス?
「太陽にほえろ」や「西部警察」では
「マカロニ」「ジーパン」「チョーさん」「やまさん」「スコッチ」など全てあだ名で呼ぶ事が通例になっていました。
「西部警察」では舘ひろしさん演じる鳩村刑事を大門団長がサングラス+怖い顔で、
「ポッポ!」
と呼んでいた時は大爆笑でしたね。
鳩村だから「ポッポ」って・・・(笑)
西部警察ではパートⅢで五代純役で出演。
石原良純さんは太陽にほえろにしても西部警察にしても人気衰退期に出演されていましたので、印象が薄かったですね。
石原プロモーション⇒湘南ブラザース
寺尾聡
西部警察では松田猛役であだ名は「リキ」
西部警察が人気絶頂のころ大活躍されて、私は寺尾聡さんが一番好きでした。
その後太陽にほえろパートⅡにも出演。
寺尾聡さんは昭和の名優宇野重吉さんの息子であると同時に歌手としても有名でグループサウンズ(GS)のザ・サベージで活躍後「黒部の太陽」で俳優デビュー後石原プロモーション入り。
俳優業のかたわら音楽活動では「ルビーの指輪」などが売れに売れ俳優業との両立が難しくなったことから西部警察では住職と言う形で卒業。
日本レコード大賞並びに日本アカデミー賞最優秀主演男優賞の両方を獲得している。
石原プロモーション⇒寺尾音楽事務所(個人事務所)
峰竜太
「おはよう!こどもショー」での海老名美どりさんとの共演が縁で結婚。
その後石原プロモーション入り。
西部警察では平尾一兵役のあまり刑事らしくないキャラクターからバラエティー番組への出演が増え、石原プロモーションの中では異色の存在ではありましたが、衰退する石原プロモーションを永年支えてきた実績を作った後独立。
石原プロモーション⇒オフィスさかや
苅谷俊介
1974年に石原プロモーション入り後、西部警察では源田刑事役あだ名は「ゲン」でしたね。
角刈りにヒゲに濃い顔はどっちが犯人かわからないくらいの強面でした。
学生の頃興味があった考古学熱が再燃したことから1982年に石原プロモーションを円満退社し俳優業のかたわらアマチュア考古学者として又、日本考古学協会会員として研究を続けています。
何か以外な感じがしますね。
石原プロモーション⇒株式会社土舞台(個人事務所)事務所の名前がぴったりでいいですね。
まとめ
今回の巡回展は、石原裕次郎さんの貴重な遺品約2万点のなかから、裕次郎さんのかっこいい生きざまがわかる資料やプライベートのものなど約1000点が展示されます。
裕次郎さんの愛車「メルセデス・ベンツ300SL」や「ロレックスGMT」愛用のジャケットや靴、裕次郎さんがまき子夫人に贈った婚約指輪や結婚指輪など貴重な品も見ることができます。
これを機会に昭和の大スターの軌跡をたどってみませんか?
石原裕次郎がどうして昭和の大スターと呼ばれたのかがわかるはずです。
我々中年世代よりちょっと上の世代が満足できる展示会ですので今後地方に巡回した時には絶対に見逃せないですよ。
又、かつてのスター集団である石原軍団を再興させテレビドラマ界でもう一度インパクトのあるものを作っておらいたいと思っているのは私だけではないはず。
舘ひろしさんでも神田正輝さんでもどちらでもいいので「石原軍団ここにあり!」の存在感を示していただきたいですね。